松本 一郎 
(まつもと いちろう)
1981年10月9日生 O型
奈良県生駒市出身
趣味:ブラジリアン柔術(黒帯)、筋トレ、スニーカー収集、ロードバイク
特技:DIY、家庭菜園、ミシン、音楽
好きなモノ:チョコレート、コーヒー、ネコ
 

 

外遊び大好きな少年時代

公務員の両親と姉、弟に加えて母方の義父家族と祖母の8人でひとつ屋根にくらすにぎやかな幼少期でした。
普段は家族でやっている畑や田んぼを手伝ったり、飼っていた鶏のお世話に薪で炊くお風呂、外にあるトイレ、井戸、かまどがあるザ田舎な生活でした。
普段は勉強もあまりせずに友達と公園や山で遊んだり、基地を作ったとり日が暮れてもまだ遊んでいました。
何をするのも負けず嫌いで短気でケンカっ早かったので、トラブルを起こすだろうと心配した両親は僕をスポーツチームに入ることを禁止したくらいに問題児だった小学生時代でした。
中学時代にはなんとなくサッカー部に入部。
小学校からやっていた子や、運動神経のいい未経験者に勝てず、レギュラーになれず悔しい想いをしました。
しかし試合に出れなかった分、ひとりで筋トレや走り込みをしてどんどんいい身体になっていくことが楽しかったことはいまだに憶えています。
身体を動かす喜びを知れたことは大きな収穫でした。
高校時代はラグビー部に入部。
ここで天理高校出身の顧問の先生に心身ともに鍛えてもらいました。
先輩後輩の関係はそこまで厳しくなかったのですが、二年生の時に赴任してこられた先生にコーチが担代わってからは練習内容がとにかくハードに激変しました…。
ちょっとココでは書けないような過激な練習もありましたが、この多感な時期に心身ともに鍛えて本当によかったです。
高校生活では毎日、授業は回復のための睡眠に充て、朝には弁当を食べ終えて二時間目終わりで目覚めては間食を摂ってまた寝る。
昼休みは全員で筋トレしてプロテインを流し込みまた寝る。
午後の授業の合間にも間食し練習開始。
一応進学校だったので授業が終わり部活が始まるのが16時すぎ。
ナイター設備もあったので夜遅くまで練習し、そこからグラウンド整備や部室の掃除などをすませてからの帰宅。
また電車でも寝て乗り過ごし帰宅は24時前なんてこともありました。
三年間本当に部活漬けの生活でした。
全身が痛くて重くて、特に脚が痛くなかった日はないと思います。
毎日毎日とにかく走らされすぎて、いまだに走ると当時の練習や気持ちを思い出してしんどくなるくらいです。
でもそのおかげもあって、1、2年生の時には1回戦負けだったチームが、当時全国的にも最激戦区だった大阪府のブロックでベスト8まで勝ち残れるようなレベルに上げてもらえました。

 

 

今は厳しさを持って正しい道に導いてくださった恩師には感謝しかありません。

 

ラグビーを続けたかったけれど…

 

結果的にはその年に初の全国制覇をした東海大仰星や、japan候補がいた興国高校に敗れ引退しました。

 

 

当然、大学でもラグビーは続けようと思っていたのですが、三年間も勉強をサボっていたので当然合格できるような大学もなく、ラグビー推薦もひっかからず…。

ラグビーの強い大学に進学するために、予備校に入り浪人生活を始めました。

 

しかし苦手な科目と向き合えず志望校のレベルに届かず、ご縁のあった方のもとで社会人チームに入れてもらって草ラグビーをしながら、自分でやりたいことも特にないまま非正規の仕事をダラダラとしていました。

 

偶然の出会い

 

ちゃんと大学に進学した友人は次々と就職し給料をもらい、車を買ったり旅行に行ったりと充実した生活で、完全に負け組感を味わったのを今でもハッキリと憶えています。

 

当時、僕は医療機器やサプリメントの会社で営業のお仕事をしていました。

社内では営業成績も良くて給料もそこそこいただいていました。

人間関係もうまくやっていましたが、なぜか達成感があまり感じられずにいました。いつもどこか虚無感があり「いつまでこんな生活するんやろ?」とぼんやり思いながら仕事していました。

 

 

そんな折、僕がたまたま派遣されたのが大阪市内の整骨院でした。

 

柔道整復師の先生がお医者さんを雇っているという珍しい形態の鍼灸整骨院でしたが、そこのオーナー先生に「人との接し方がうまい」と気に入ってもらいかわいがってもらえるようになりました。

 

「やりたいことがなくて今の仕事をやっているのなら、ウチで働かないか?」と誘っていただき全くの未経験でしたが、ひらめきだけで整骨院業界転職したのが23歳でした。

 

必死に仕事をして知る資格の壁

 

最初は体重計を手の親指だけで押して、自分の体重と同じ数字になるまで繰り返すという独特の訓練法が毎日8時間

ほど続きました。痛くて痛くて毎晩湿布を張って寝ました。

特訓といわれ診療が終わった後も練習を続け、家に帰れず院んで寝泊まりさせてもらった日もありました。そんな生活が1ケ月つづいたころ、あまりの指の痛さに受診を希望しレントゲン撮影をしてもらった結果…疲労骨折していました…。

 

しかし、未経験の僕はガッツでカバーするしかありませんでした。

折れている間は院への送迎車両の運転や掃除などできることはすべてやらせてもらいました。

 

その間も、骨や筋肉といった解剖学の勉強、鍼灸で使う経穴の勉強から、お灸、鍼と実践的な技術をどんどん練習をさせてもらえて、しんどいこともありましたが楽しく治療家としての基礎を身に着けることができました。

 

正直、当時専門学校に通っていた方より院内のテストの点数も良く、患者さんからの評価も良かったので、ようやくやりたい仕事に出会えたかもと嬉しかったのを憶えています。

 

未経験の一年目でこれだけ喜んでもらえるなら、資格も取って開院したら、間違いなく勝てるかもと勝算すら感じていました。

そんな時に通学しながら働かれていた方々が国家試験に合格された途端

形勢は一気に逆転…

 

学校で勉強しながら治療を学ばれていた先生方の説明や判断、なにより治せる治療に愕然としました。

そのレベルの差に気が付くことすらできないほどの無知でした。当時の自分が井の中の蛙すぎて恥ずかしいです…

 

 

資格取得に奔走した三年間

 

やはりこの業界で生きていくには国家資格がないとスタートラインにすら立てないことを痛感し、専門学校に通うべく鍼灸整骨院を退職し地元近くの整形外科に転職しました。

 

 

通学のために職場を自宅近くにしたので、通勤時間は10分の1程度になったもののバイト程度の時給しか出ません。

 

 

しかしここでは手技よりもドクターから解剖学、医療用語、問診、診断、レントゲンや手術、注射、薬など西洋医学についての知識と、そしてないよりドクターの人となりを教えてもらえて、医療人としての礎を築けたように思います。

 

とは言えこの時点で結婚してこどもも二人いましたので、給料が安くなってしまった分はなんとか賄わないといけません…。

 

 

4時半には自転車で家を出て、5時から8時まで運送会社で仕分けのバイト。

また移動して8時30分から整形外科にてリハビリのお仕事。直接、患者さんに触れさせてもらいながら、12時には急いで抜けさせてもらって自転車を8㎞こぎながらおにぎりを食べて、電車に乗り換えて専門学校へ。

終わったら戻ってきて整形外科で19時まで働き、そこから今度は往診マッサージに行き帰宅は21時過ぎ…

そこから深夜まで専門学校の勉強をするというトリプルワーク生活を三年間頑張りました。

(その間、妻も働きながら保育園の送り迎え、炊事、洗濯と本当によく頑張ってくれました…)

 

 

今、思い出してみてもこの頃の生活は二度としたくないくらいしんどかったです…。

しかしながら家族も協力してくれたこともあり、なんとか踏ん張ることができ成績はトップ3を必ずキープ。その当時の成績は卒業時に西日本接骨学会から表彰もされました。

 

 

 

人とのご縁に救われる

 

そんな環境でもラグビーは続けていました。

これまで幸いなことに大きなケガをせずにここまでやって来れました。

 

しかし29歳のときに不摂生のまま出た試合中タックルで負傷し、顔面を2ケ所骨折。

手術しないといけなくなりました…

 

仕事も学校も休まないといけないうえに、大切な国家試験も迫ってきている状況でピンチに襲われ、ラグビーはココで諦めました…

その際に数名のドクターに相談させてもらいました。

 

その中で手術をしなくても処置で後遺もなく治してあげるよと言ってくださったのは、修業時代に勤めていた整形外科の医師でした。

 

その一言で不安も解消されたのを今でもハッキリと憶えています。

実際に言われる通りにして骨折部位もキレイに治り、結果として仕事も休まず国家試験も無事に合格することができました。

本当にありがたかったです。

 

ケガによる困りごとは、痛みや動かしにくさだけではなく、

本当の困りごとはできていたことができなくなること。

 

その損失の大きさを身をもって知り、またそれを解決した時の喜びの大きさも同時に知りました。

この仕事で生きていくと決定づける出来事でした

 

またまた出会う無知

 

2011年、お世話になった先生のような治療を提供できる院を作るんだと意気揚々と開院しました。

 

とにかく先生のマネをしてやれば、あんな風になれると信じていましたが…そもそも向こうは医師であり、僕は柔道整復師。

知識も技術の桁違いなうえに保険で扱える範囲が違いすぎること、そして何より学校での「国家試験」のための勉強はできたのかもしれませんが「治療」の勉強が全くと言っていいほど出来ていませんでした…

 

かつて整形外科で目にしていた楽しくお話して、笑顔で「ありがとうございました」と言って、帰られる患者様の姿が当院にはなく、保険のルールに縛られて時間内で患者様を機会に通して回しているだけでした…

 

違う…国家資格も取ったのに思ってたのと違う…。

こんなことがしたくて開院した訳じゃない!

 

保険治療の面倒なルールにとらわれずに、目の前の患者さんにとって最高の治療を提供して、笑顔でありがとうございましたと言って帰ってもらいたい。

そう強く想うようになりました。

 

 

本当に必要とされる院を作りたい

 

15年以上、治療に携わっていると患者様から「本当に必要な治療が受けられなかった」という声を多くお聞きします。

実はこの背景には「保険治療の問題」があります。

 

保険治療とは「日常生活を送れるようになるまで」をサポートする仕組みなので、どうしてもその治療は必要最低限のものに限られてしまいます。

逆に言えば保険のルールが邪魔をして、必要な治療が受けられない状況にあります。

 

しかし、慢性的な痛みやスポーツ選手のケガは、もっと高度な治療技術や運動指導などが必要になります。

 

 

そのためには保険治療という枠組みにとらわれず、患者さんにとって最高の治療を提供できる治療院を作る必要があると考え、2014年より自費での治療を導入しております。

 

 

ありがたいことにこれまで多くの方にお越しいただき、現在では他府県からの患者さんも多くお越しくださっています。

 

「無事に試合に出ることができました」「諦めていた趣味を再開できました」「仕事で座りっぱなしでも腰が痛くなくなった」「自分に余裕がないとこどもにも優しく接することができない」など、たくさんのお喜びの声もいただけるようになりました。

 

しかし、痛みのためにスポーツができない選手や、長年痛みを患っている患者さんのご来院は今も続いていますし、まだまだ必要な治療や対処を知らずに困っている人はたくさんいらしゃることも現実です。

 

奈良だけでなく全国の困っている方に

 

正しい知識や情報、必要な治療や対処を知ってもらうために、地域の小学校で姿勢改善体操を導入してもらったり、体幹トレーニング教室などを開催しています。

 

またSNSやブログ、動画を通じて全国の方に情報を発信したりする活動も行っています。

 

趣味で行っているブラジリアン柔術では、新聞やテレビにも取り上げられており、生駒市市民功労賞も受賞させていただきました。そういった経歴も生かし、アメリカまで行って学んできたメンタル理論、柔術テクニック、トレーニング理論を、お伝えする活動も並行しておこなっています。

 

今では、当院のブログや動画を見た方からメールや患者さんからのLINEやSNSで日々感謝のお言葉をいただき、このような活動をして本当に良かったと実感しています。

 

これからも治療や情報発信を通して、みなさまが「動けるカラダで好きなことを続けられるように」全力でサポートしていきたいと思います。

 

 

「ひとにやさしく」

 

僕を医療人として育て導いてくださった恩人の医師の言葉です

 

「医療ってひとにやさしくすることやと私は思ってんねん」

 

悩みを抱えてこられている人は他人には考えもできないような不安やストレスを持っている。

それらを解消し解決するために、さまざまな方法があるけれど、まずは自分が幸せであって、余裕がないと他人にいい施しができるはずがない。

だから普段からアンテナを立てて知識を入れておくこと。

同時に身体を鍛え栄養を蓄えて準備をしておくこと。

そういった目に見えないことを積み重ねることではじめて、人にやさしくできるのよ。

と言われサラっと実践されていた先生の姿は今でも最高のお手本であり、目標です。

 

 

柔道整復師


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はぎの台整骨院

柔道整復師 松本一郎

 

 

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